アマチュア無線資格への挑戦

私が小学6年生の頃...と言うと50年以上も前のことになります.

当時,NHKで「ひょっこりひょうたん島」をやっていた時期で,ドン・ガバチョの声を担当しておられた藤村有弘さんがアマチュア無線をやっていると言う記事を,どこかの雑誌で見かけたと言うのが事の発端で,そもそも鉱石ラジオなどに興味があった頃ですから,マイク片手に無線機から世界とつながると言う絵柄にすごく魅力を感じましたねぇ~

なぜか当時は自宅の近く(と言っても10km以上離れていましたが)に「無線機屋さん」が有ったのを記憶しています.そこで立派な無線機を眺めるのが月に一度の楽しみでした.

無線機のメーカや機種は全く覚えていませんが,当時でもそう簡単に買えるような代物では無かった様で,受信機だけでもと何度か父親を説得して了解を得たのが「電話級に合格すること」が条件というものでした.

とりあえずエナメル線を竹竿に括り付けて,受信する格好をアピールしていたのを思い出します.

当時のアマチュア無線家人口はというと,意外にも少なくて昭和48年の資料によると,アマチュア無線従事者数で約43万人.開局数で24万局ほど

最近,アマチュア無線家が激減していると聞きますが,それでも従事者数で約353万人,開局数は約37万局.従事者数が多いのは複数資格の延べ数なので実際はもっと少ないでしょう.にしても意外に多いですねぇ.

昔は試験に合格すれば晴れて開局し,趣味として続けている方が多かったと言う事でしょうか?

閑話休題

それまでは,5級スーパーヘテロダイン式のラジオキットを買って貰って,組み立てたはいいが,下手くそな半田付けで鳴ったり鳴らなかったりでちょっと挫折.

中学1年生になった夏休みに入る頃,新聞で「小学2年生がアマチュア無線2級に合格」と言う記事(かなりうろ覚えのため真偽は不明)を見つけ「そんな簡単なら受かるなぁ」と,通信教育の教材を買って貰って一夏の経験.高を括って望んだ国家試験では,もうボロボロ状態でサッパリ判らず,大きな挫折を味わいました.

たった一度の受験だというのに,小学生にか~るく負けてしまった事が余程ショックだったのか,それ以降はアマチュア無線から意識して遠ざかっていたような気がします.

それから50年以上も経過した一昨年前の始めの頃.何気なくYoutubeを視聴していた時に,ふと @igaku kan さんの動画 を見る機会に触れ,一気に「モールスで無線をしたい!」となりました.まぁ,ミーハーですねぇ.

思い立ったが吉日(ずいぶん時間が経過したけど)で直ぐに手頃な縦振電鍵と対策本を購入し,3級の受験申込をと思いましたが,いろいろゴタゴタしているうちに時間は過ぎ,気付いたときはすでに10月20日.(そうなんです.ほぼ一年間ゴタゴタしてました ^^;)

令和3年12月受験の場合,申込締め切りが10月末.

と言う事で直ぐに申込完了.後で判ったことでしたが,次回の試験から

無線従事者国家試験申請システム

に変わるとの告知.偶然にも,旧方式での最後の受験となりました.

支払のみペイジーでしたので中途半端な時期でも有りました.今はクレジットカードであっさりですねぇ.

  • 10月20日 電子申請で受験申込
  • 10月21日 コンビニで試験手数料を払込
  • 11月17日 受験票着(直ぐには送ってくれない)
  • 12月05日 受験

まぁ,受験まで時間もあまりなかったのですが,昔と違ってネットには情報が溢れており,参考書も豊富に有ります.恵まれた環境ですねぇ.ほぼ一年前に購入しておいた対策本には何度か目を通しておいたので,後は過去問に集中

昭和48年の資料では電話級の合格率が39.3%,電信級が48.4%と,かなり難しかったようです.私の受験した時は全体でも80%の合格率!

と言う事で,満点合格させて戴きました.

コメント